生きるために食べる。食べるためにつくる。

little forestより

前回は自然を感じるなどと少しカッコイイことを言ってたような気がするが、すなおに思うことを書いているのでよろしいのではないかと思う。
また、私がここに行って何食べた、こうしたということはあまり皆様には興味を持っていただけないだろうから積極的に書かないと思っていたけれど前回は書いた(´・ω・`)
たまにはいいでしょう(^◇^) いやいやネタが無くなったらそれもよいね(^^)/

しかしこの顔文字というものは非常に便利なものだな。私はこれを考えた人に国民栄誉賞をあげたいよ。

私たちは幸せである。そこに米がある。野菜がある。肉がある。あたりまえのようだかすごいことである。農家、漁師さんから流通に乗って日本全国の自分の近くのお店にやってくる。
そこまで原料が来ているのである。あとは料理を作るだけ。

基本的に私は映画でも本でもそのストーリーの中に食べるコマがあって、なおかつちゃんと作って食べるシーンがあるとよい。なんかね、ちゃんと生活していると感じると嬉しくなるのである。
その小説の文章中に、ちゃんと水筒もって、サンドイッチかおにぎり作ってベンチで食べてるとか、めんどくさがらずにストレッチ、ウォーキング、ジョギングなどをして自分の身体に良い負荷をかけながら、生活をちゃんと送っている。そんなこと書いていると、いいね!!と思ってしまう。
私はちゃんとしてるだろうか? 完璧ではなくとももちゃんとしなければと思っている。

lf2lf1そのような中、この映画に出会ったのである。それが「リトル・フォレスト」である。全シーンが私の好みとするところの食べるところ、ちゃんと作るところばかりなのである。そしてそのきれいな生活の仕方がよい、ほんとうによい。
このちゃんとちゃんとって何だ? 朝目が覚めて顔洗って、歯みがいて、朝ごはん食べて、そうそう布団で寝てる方は布団あげて、掃除して・・・ムムム・・・今はほとんど共働きしてるので(私のところも)特にシングルの女性・・男性も、そして介護してるか方も厳しいところはありますよね。それぞれ自分の一日のリズムなんだろうか!?
主人公は「橋本愛」、お母さん「桐島かれん」です。二人とも汗だくになり泥だらけになり農作業やっていても、ちゃんと身だしなみしているのできれいなんです。どんなに古い家に住んでいてもスッキリした生活をしている。映画だからね!と言ってはおしまいだけれど、実際ににこういう気持ちで生活したらいいだろうな~と思うんだよね。
私なんかこの映画みてたら無性に草むしりしたくなって、おかげでスッキリきれいになったよ(^◇^)。
桐島かれんさんのお母さん役、これもいいね(´▽`)
そんなちゃんとちゃんと生活するって生活それぞれですから難しいことなんだけどとても大切なことだと思う。

「言葉はあてにならないけれど
私の身体が感じたことなら信じられる」

映画中に出てくる言葉である。
これなのよ、自分の感じた事、感覚を信じるってことも、とても大切なことである。
私もある年代まで他人の言葉にあっちいったり、こっちいったり。結局後悔する(T_T)
今は私も常々そう思っていたのでこの言葉はスーーッと心に届いた。

料理などの味もそうです
フレンチでもあの最初のワインの、なんというのですか、注いでもらってわかったようにウンウンとやるあれ。
あれはね、私はだいたい心の中で「皆さんこのワインには飲めます。毒は入っていません安全ですよ」と思いながらウンウンとうなずいているのです。
600円のワインだろうがヴィンテージものの20,000円のワインだろうが自分が美味けりゃいいのです。自分で決めたらよいのです。安いワインでも美味しけりゃそれが自分にとってよいワインとなるのです。
料理だってそうです。他人が美味しいからって自分が美味しいとは限らない。まさに自分の身体で感じて自分を信じたらよいのです。だって他人と自分とは生い立ちも、今の食環境も、持っている持病なんもかんも違うんだから舌も違うんです。

いつものように話しがとっちらかってきたからおしまい。